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今日も遊家にて…
第八話 新潟淡麗辛口<前編>
淡麗辛口というものにまったく興味が無い。

日本酒を飲み始めるようになって、最初はそれほどでもなかったかと思うのだけど、
徐々に、そして加速度的に興味を失い。
今現在、その要素がまったくゼロになった。

ただ、辛いだけ。
そして、解けきらない砂糖のような甘さ。
個人的には、「アルコールどっかん系」もしくは、「THE日本酒」などと呼称させていただいている。

その淡麗辛口の本場といえば、新潟。
まずは、越乃寒梅という酒が、著名人により幻の銘酒として紹介され、ブレイク。
新潟地酒ブームの走りとなった。
ついでに言うと、地酒という言葉もこの時に市民権を得た。
その後、久保田、八海山がその地位を確立し、確固たるものに。
新潟で乗ったタクシーの運転手の話によると、寒梅の酒造技術は杜氏の移籍などにより、
八海山や越乃景虎に伝播していったようだ。
一方、久保田は、女性グループの丁寧な酒造りにより有名になり、その高度な酒造技術などもあり、新潟地酒の中でも一番の地位を占めるようになった。

そういえば何年か前、仕事でサンフランシスコに行った際も、寿司屋では久保田と八海山にはプレミアム価格が付いていた。
※その他の日本酒は実はそれほど高額では無い。日本の1.2倍ほどの価格帯だ。おそらく両国の酒税の違いによるのではと考えている。

しかし、そもそも淡麗辛口とは、新潟の専売特許ではない。
もともとは、灘の酒のことを指したものだ。
江戸時代、明治、大正、戦前戦後と日本の酒造を牽引した灘の酒は、淡麗辛口を旨とした。そのような酒が作りたい。
その思いが、新潟の酒造技術を向上させ、現在では、淡麗辛口と言えば新潟とまで言われるようになったのだ。

話はどんどん脱線して申し訳ないが、
金沢に旅行した際、地酒といえば天狗舞、菊姫、常きげん、加賀鳶などがあり。
北陸地方の酒は、黒龍にしても立山、銀盤にしてもその酒質は淡麗辛口を旨とする。

さらに、
静岡でも、能登杜氏四天王を自称した開運の故・波瀬正吉でも有名なように、淡麗辛口の酒が多い。
静岡に限らず日本全体で、酒、地酒といえば新潟それも淡麗辛口と認識されたので、全国の酒造家たちはそれを目指したのだ。

しかし、日本酒が売れない時代というのは、イコール淡麗辛口が市場から飽きられたということと考えて良いだろう。

ある蔵元は言った「そんなに辛口が飲みたいなら、焼酎を飲めば良い」
そう、決定的に淡麗辛口が力を失ったのは、上質な焼酎が市場に供給されたからである。
その味わいは、クリアでドライ。消費者が求める辛口、また酒造業者が長年求めつづけた辛口は皮肉にも、日本の酒造では新参者の焼酎で完全に具現化されたといえる。少なくとも日本酒より淡麗で辛口であることはたしかだ。

こんな時代、新潟の酒造会社はどうなってしまうのか。
つづく。



2010年04月26日

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執筆者:ごえも〜ん
純米酒好き。
好きな酒は飛露喜。

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